この記事の結論
- 退職金は法律上の一律義務ではなく、規程や慣行の有無で決まる
- 解雇予告は30日前が原則。足りない日数分は予告手当で補う
- 伝える順番は個別面談が先。条件と再就職支援をそろえて話す
クリニックの閉院を決めるとき、いちばん重く感じるのは従業員のことではないでしょうか。退職金は払わなければならないのか、いつ伝えるべきなのか。こうしたご相談を、開業のご相談と同じくらいいただきます。結論から申し上げます。退職金の支払義務は「規程や慣行があるかどうか」で決まり、法律上の一律の義務はありません。一方で、解雇予告(30日前の通知、または30日分以上の解雇予告手当)は法律上の義務です。この2つを取り違えたまま進めると、閉院の最後の最後で必ず揉めます。
私は現役の整形外科医として診療を続けながら、複数の法人の経営と、病院・クリニックの経営改善や再生のお手伝いをしております。閉院のご相談も少なくありません。この記事では、閉院時の労務、つまり退職金・解雇予告・従業員への伝え方・閉院手続きの順番を、実務の目安として整理してお伝えします。なお、以下は2026年時点の一般的な取扱いです。制度は改定されますので最新情報をご確認いただき、個別の判断は社会保険労務士や弁護士にご相談ください。
クリニックを閉院すると、従業員の雇用はどうなるのか
閉院に伴う解雇とは、医療機関の事業そのものを廃止することを理由に、労働契約を終了させる普通解雇のことです。事業を続けながら人員を減らす整理解雇とは、судと言いたくなるほど混同されますが、判断の枠組みが異なります。事業廃止そのものは経営者の判断として尊重されやすい一方、手続きの不備は容赦なく問題になります。
ここで最も多い誤解が「閉院すれば雇用契約は自動的に終わる」というものです。実際には、院長側から契約を終了させる意思表示と、法律で定められた手続きが必要です。行政に廃止届を出して看板を下ろせば終わり、ではありません。
よくある誤解
閉院するのだから、従業員の雇用も届出と同時に自然に終わる。退職金も出さなくてよい。
「事業がなくなるのだから仕方ない」で押し切ろうとする形
実際
雇用終了には解雇の意思表示と30日前の予告(または予告手当)が必要。退職金は規程・慣行があれば支払義務が生じる。
手続きを飛ばすと、閉院後に未払い請求として戻ってくる
もう一つ押さえておきたいのは、閉院は解雇以外の形でも終われるという点です。合意退職、定年、近隣の医療機関への転籍などです。私が見てきた範囲では、再就職先の見通しとセットで丁寧に説明できたところは、結果として合意退職で穏やかに終わっています。ただし退職届の提出を強く求めると、後から「退職を強要された」と争いになります。あくまで選択肢として提示するに留めるのが安全です。
閉院のとき、従業員に退職金を払う義務はあるのか

退職金は、法律で支払いが義務づけられた賃金ではありません。支払義務が生じるのは、次のいずれかに当てはまる場合です。ご自身のクリニックがどこに該当するか、まず就業規則と過去の支給実績を確認してください。
| ケース | 支払義務 | 実務での注意 |
|---|---|---|
| 退職金規程・就業規則に定めがある | 原則あり(労働契約の内容になる) | 規程どおりの計算式で算定する。閉院を理由に一方的に減額はできない |
| 規程はないが、過去に支給した慣行がある | 生じることがある | 誰にいくら払ったかを先に洗い出す。人によって差があると揉めやすい |
| 中退共(中小企業退職金共済)に加入 | 共済から従業員へ直接支給 | 事業廃止時の手続きと支給時期を機構へ早めに確認する |
| 規程も慣行もない | 法律上の義務はない | 長く勤めた方に「功労金」として任意で出す選択肢は残る |
常時10人以上を雇用していなければ就業規則の作成義務はなく、クリニックでは規程そのものが存在しないことも珍しくありません。その場合は労働条件通知書や雇用契約書の記載、そして過去の実績が判断材料になります。
金額の目安についてもよく聞かれます。私がご相談を受ける範囲では、勤続1年あたり基本給の0.5〜1.0か月分程度を係数とする規程が比較的多い印象です。勤続5年・基本給25万円の常勤スタッフなら、おおよそ60万〜125万円という幅になります。あくまで一つの目安であり、規程がある以上は規程の計算式が優先します。
税務面では、退職金は退職所得として扱われ、勤続20年以下なら1年あたり40万円(最低80万円)の退職所得控除があります。多くのスタッフはこの控除の範囲に収まりますが、「退職所得の受給に関する申告書」を提出してもらわないと税額が変わりますので、書類の準備を忘れないでください。
そして最も現実的な問題が原資です。閉院は、収入が止まっていく時期に、退職金・解雇予告手当・原状回復費・リース残債の支払いが重なります。私は、閉院を決めた時点で退職関連の原資を別口座に分けておくことをお勧めしています。手元資金の見方についてはクリニックの資金繰りが苦しい時の3つの数字も参考になさってください。
解雇予告は30日前が原則|予告手当はいくらになるのか
労働基準法では、解雇の少なくとも30日前に予告するか、30日分以上の平均賃金(解雇予告手当)を支払うことが求められます。予告日数が足りない場合は、その不足日数分を手当で補う併用も認められています。20日前に伝えたなら、残り10日分を手当で支払う、という形です。
ここでいう平均賃金は、原則として直前3か月の賃金総額をその期間の暦日数で割った金額です。月給30万円の常勤スタッフなら日額はおよそ1万円前後になります。
予告日数別・解雇予告手当の目安(月給30万円のスタッフ1名)
目安。平均賃金日額を約1万円として試算した概算です。実際は直前3か月の賃金総額÷暦日数で計算します。スタッフが5名いれば、即日通知の場合は合計150万円規模の支出になります。
この表を見ていただくとわかるとおり、早く伝えることは、そのまま資金の話でもあります。伝えづらさを先送りするほど、支出は増えていきます。
いくつか注意点を挙げます。第一に、有期契約のスタッフを契約期間の途中で解雇するには「やむを得ない事由」が必要で、閉院であってもハードルは高いとされています。契約満了までの賃金相当額の補償を求められることがありますので、更新時期を見ながら計画してください。第二に、従業員から求められた場合、解雇の理由を記載した証明書を交付する義務があります。第三に、雇用保険の離職理由です。事業所の廃止による離職は特定受給資格者に該当しうる区分で、失業給付の給付制限や所定給付日数の扱いが変わります。ここを安易に自己都合として処理すると、確実に信頼を失います。最新の取扱いはハローワークでご確認ください。
従業員にいつ、どう伝えるか

私の目安は、閉院日の3〜4か月前です。解雇予告の30日前ラインは最低限であって、目標ではありません。スタッフには次の職場を探す時間が要りますし、その時間を用意できるかどうかが、そのまま院長への評価になります。
そして順番を間違えないことです。患者さんや取引先から先に伝わってしまうのが、最も避けたい形です。
- 条件を先に固める
退職日、退職金の有無と金額、予告手当、有給休暇の残日数と扱い、離職票の区分。ここが曖昧なまま話すと不安だけが広がります。 - 事務長・主任クラスに個別に伝える
現場を支えている方に先に話し、最終日までの運営を一緒に設計します。ここで味方になってもらえるかが分かれ目です。 - 全員に個別面談を行う
全体朝礼で一斉に発表しない。一人ずつ、勤続への感謝と条件を伝えます。時間はかかりますが、後の紛争を確実に減らします。 - 全体説明とスケジュール共有
個別面談を終えた後に、最終診療日、片付けの分担、給与の支払日を全員で共有します。 - 書面を交付する
解雇予告通知書、退職条件の書面。口頭だけで済ませない。後で「言った・言わない」になります。 - 再就職の支援をする
近隣の医療機関への紹介、推薦状、面接日の勤務調整。私はここに一番力を入れます。院長の人脈が最も役に立つ場面です。 - 患者さんと地域へ告知する
院内掲示、紹介先の案内、近隣医療機関や医師会への連絡。スタッフへの説明が終わってから行います。
伝える場では、理由・日程・条件・支援・質問の窓口の5点を必ず含めてください。理由を曖昧にすると憶測が生まれます。体調、後継者の不在、建物の事情など、話せる範囲で率直にお話しになるほうが伝わります。閉院に限らず、院長とスタッフの間で信頼が崩れるのは説明の順番を誤ったときです。この点は院長とスタッフの関係が悪化する3つの原因にも書きました。
閉院手続きのスケジュールと届出をどう並べるか
労務と行政手続きは同時並行で進みます。閉院手続きは種類が多く、期限が短いものもありますので、一覧にして潰していくのが確実です。
- 閉院の6か月前:閉院日を仮決定し、退職金・予告手当・原状回復費の原資を試算する
- 4か月前:賃貸借契約の解約予告期間、医療機器リースの残債と中途解約金を確認する
- 3〜4か月前:スタッフへ個別に伝える(解雇予告の30日前より十分に手前で)
- 2か月前:患者さんへの院内掲示、紹介先医療機関の確保、医師会・近隣への連絡
- 1か月前:解雇予告通知書の交付、有給休暇の消化計画を確定する
- 閉院後10日以内:保健所へ診療所廃止届。地方厚生局へ保険医療機関廃止届
- 5日以内:年金事務所へ社会保険の資格喪失届、適用事業所全喪届
- 10日以内:ハローワークへ雇用保険の資格喪失届と離職証明書、適用事業所廃止届
- 50日以内:労働基準監督署へ労働保険の確定保険料申告
- 税務署へ廃業届、給与支払事務所等の廃止届(青色申告や消費税の届出も併せて)
- 麻薬・向精神薬、エックス線装置に関する廃止・返納の届出
- 診療録は完結の日から5年間の保存。保存の責任は閉院後も院長に残る
期限や必要書類は自治体や管轄で運用が異なることがありますので、保健所と厚生局には早めに一度ご相談されることをお勧めします。カルテの保存場所は見落とされがちで、自宅保管かトランクルームかを、閉院前に決めておいてください。
なお、医療法人として運営されている場合は、個人開業の閉院とは別に法人の解散・清算の手続きが必要になり、都道府県知事の認可や残余財産の扱いが絡みます。出資持分のある法人では特に整理が複雑ですので、医療法人の出資持分の払い戻しとはもあわせてご確認いただければと思います。
閉院の労務でつまずく4つのパターン
ご相談を受けるなかで、繰り返し見かける形があります。どれも、事前に手を打てるものです。
1つめは、告知が直前すぎること。言いづらさから先送りし、結果として1か月を切ってから伝える。スタッフは次を探す時間がなく、感情的な対立になります。予告手当も余計にかかります。
2つめは、退職金の原資を最後に回すこと。閉院月は入金が細り、その一方で支払いが集中します。私は、閉院を決めた段階で必要額を概算し、分けて置いておくようお伝えしています。足りないと見えた時点で、閉院日を後ろにずらす判断もできます。
3つめは、有給休暇の一斉請求で最終月の診療が回らなくなること。残日数が多い状態で退職日が近づくと、当然ながら請求が集中します。閉院を決めたら早い段階で消化計画を立て、それでも残る分は買い取りを検討する。退職時の残日数の買い取りは実務上行われますが、扱いに迷う点もありますので専門家にご確認ください。
4つめは、未払い残業代が閉院を機に表面化すること。タイムカードと実際の勤務時間がずれたまま何年も運用されていると、退職のタイミングでまとめて請求されることがあります。閉院前に勤怠の実態を把握し、必要なら精算して区切りをつけておくほうが、結果的に静かに終われます。
閉院は、経営者にとって敗北ではありません。地域の医療をどう引き継ぐか、一緒に働いてくれた方をどう送り出すか。そこまで含めて設計できたとき、閉院は一つの仕事として完結します。最後まで丁寧にやり切った院長は、その後も地域から信頼されています。私はそういう姿を何度も見てきました。
よくある質問
Q. クリニックの閉院で、従業員に退職金を必ず払う必要がありますか
A. 法律上の一律の義務はありません。就業規則や退職金規程に定めがある場合、過去に支給した慣行がある場合に支払義務が生じます。まず規程と過去の支給実績をご確認ください。
Q. 閉院を従業員に伝えるのは何か月前が適切ですか
A. 私の目安は3〜4か月前です。解雇予告の30日前は法律上の最低ラインにすぎません。再就職先を探す時間を確保できるかが、最後の信頼を左右します。
Q. 解雇予告手当はいくら支払うことになりますか
A. 30日に足りない日数分の平均賃金です。月給30万円なら日額約1万円が目安で、即日通知なら約30万円。20日前の予告なら10日分の約10万円となります。
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