この記事の結論
- 開業医が倒れると売上は止まり、固定費と雇用だけが残ります
- 国保に傷病手当金は原則なく、自前の現預金と保険が頼りです
- 代診・お金・情報・労務・出口の5つを健康なうちに決めます
診療の合間にふと、「もし今、自分が倒れたら、このクリニックはどうなるのだろう」と考えたことはないでしょうか。私は整形外科医として外来に立ちながら、複数の法人を運営し、経営が苦しくなった病院やクリニックの立て直しのお手伝いをしております。医師のコミュニティで毎月多くの先生とお話しする中で、相談は多いのに最も準備が進んでいないのが、この「院長自身が病気になったとき」の話です。
先に結論をお伝えします。開業医が病気になったら、診療収入はその日からほぼ止まり、人件費・家賃・借入返済といった固定費と、スタッフの雇用だけが残ります。だからこそ備えは、①代診 ②お金 ③情報と権限 ④労務 ⑤出口——この5つを、健康なうちに決めておくことに尽きます。順にお伝えします。
開業医が病気になったら、クリニックでは何が止まるのか
開業医の体調不良リスクとは、院長が診療できなくなった瞬間に診療収入がほぼゼロになり、固定費の支払いとスタッフの雇用責任だけが残る状態を指します。勤務医であれば、自分が休んでも病院は回り、給与も一定期間は保障されます。開業医は、この二つが同時に外れてしまいます。
特に医師が院長お一人の無床診療所は、診療の全量を院長が担っている構造です。休診はそのまま売上ゼロを意味します。それでもスタッフの給与は締め日どおりに発生し、テナントの賃料も、医療機器のリース料も、借入の返済も、カレンダーどおりに引き落とされていきます。
下は、月商1,000万円規模の無床診療所が1か月まるごと休診した場合に、それでも出ていくお金の目安です。実額は診療科や物件条件で大きく変わりますので、ご自身の試算表の数字に置き換えてご覧ください。
1か月休診しても出ていく固定費(月商1,000万円規模の無床診療所・目安)
※あくまで目安です。人件費率は無床診療所で売上の20〜25%程度といわれますが、診療科と体制により差があります。
つまり、1か月倒れるだけで数百万円単位の穴が空きます。さらに厄介なのは、休診が長引くと患者さんが近隣の医療機関へ移り、再開しても患者数がすぐには戻らないことです。私の見立てでは、1か月以上の休診の後、外来患者数が元の水準に戻るまで数か月を要する例が少なくありません。お金の穴と、患者さんが戻るまでの時間差。この二つが同時に来るのが、開業医が倒れたときの現実です。
開業医が倒れたら、生活費と運転資金はどこから出るのか

ここで多くの先生が誤解されているのが、傷病手当金です。会社員であれば健康保険から支給されますが、国民健康保険には傷病手当金の法定給付がなく、多くの医師国保でも同様です(任意給付のため加入先により扱いが異なります)。個人でご開業の先生は、まずご自身の加入先の給付内容をご確認ください。
医療法人化して理事長が健康保険の被保険者になっている場合は対象になり得ますが、役員報酬が支払われ続けている間は支給されないのが原則です。「法人だから安心」とも言い切れません。制度は改定されますので、2026年時点の内容として、必ず最新の要件をご確認ください。
| 項目 | 傷病手当金(公的) | 就業不能保険・所得補償保険 | 医師会等の休業補償制度 |
|---|---|---|---|
| 主な対象 | 健康保険の被保険者。国保は原則対象外 | 契約した本人 | 加入資格を満たす会員 |
| 受け取り開始の目安 | 連続する3日の待期の後、4日目から | 免責期間(例:60日)の経過後 | 制度により異なる |
| 注意したい点 | 報酬が支払われていると支給されない | 精神疾患は対象外・限定の商品が多い | 保障額と保障期間に上限がある |
ここで押さえていただきたいのが免責期間です。就業不能保険や所得補償保険は、働けない状態が一定期間続いてから支払いが始まる設計が一般的で、「免責60日」「支払対象期間◯年まで」といった条件が付きます。つまり、倒れた直後の1〜2か月は、原則として自前の現預金でしのぐ前提になります。
私が最初にお勧めしているのは、法人と個人のそれぞれに、固定費の3〜6か月分の現預金を置いておくことです。金額の大小より、「何か月止まっても持ちこたえられるか」を月数で把握しておくことが大切です。
倒れる前に準備しておく5つの備え
備え1:代診の当てを、平時のうちに作っておく
倒れてから代診を探し始めると、まず間に合いません。紹介会社を通す場合も、条件のすり合わせから着任まで数週間かかることがあります。健康なうちに、同門の先生、医局の後輩、地域で親しい同科の先生——3名ほどに「万一のときはご相談させてください」と伝えておくだけで、初動がまったく変わります。
よくある想定
「代診は、倒れてから探せばよい」
実際には依頼から着任まで数週間かかることもあり、その間は休診が続きます
見直し後
「平時に3名、お名前と連絡先を持っておく」
年に一度お会いしておくだけでも、依頼の一本目が出しやすくなります
代診医の日当は1日8〜12万円程度が一つの目安といわれます。売上が立たない期間の持ち出しにはなりますが、患者さんを他院に流出させないための費用と考えれば、休診を続けるより結果的に安く済むことが多いと感じております。
備え2:就業不能保険で「止まった期間」を買う
生命保険には入っていても、就業不能への備えが手薄な先生は多くいらっしゃいます。確認していただきたいのは、保険金額よりもむしろ、免責期間の長さ、精神疾患が対象かどうか、そして給付が何年続くかの3点です。証券を一度お手元に出して、この3つに線を引いてみてください。
備え3:スタッフの雇用と休業手当を先に決めておく
労働基準法では、使用者の責に帰すべき事由による休業について、平均賃金の6割以上の休業手当を支払うこととされています。院長の病気による臨時休診がこれに当たるかは個別の判断になり、見解が分かれる部分でもあります。ここは一般論に留めますので、実際の運用は必ず社会保険労務士にご確認ください。
私がお勧めしているのは、法的にどちらかを争うより先に、「臨時休診となった場合の賃金の取り扱い」を就業規則に書いておくことです。取り決めがないまま院長が倒れると、判断できる人が誰もいない状態でスタッフの不安だけが膨らみ、離職につながります。人が抜けた後の採用がいかに大変かは、クリニックの求人に応募が来ない理由でもお伝えしているとおりです。
備え4:情報と権限を、院長お一人に集めない
倒れた後にご家族が最も困るのが、お金と契約の所在が分からないことです。以下は、私が院長先生にお渡ししているチェックリストです。半分以上に印が付かない場合は、今週のうちに手を付けていただきたい項目です。
- クリニックの通帳とネットバンキングの保管場所を、配偶者か信頼できる幹部が知っている
- 電子カルテ・レセコンの管理者アカウントを2名以上が操作できる
- 保健所・厚生局への届出書類の控えの保管場所を共有している
- 主要な仕入先と担当者の連絡先が一覧になっている
- 賃貸借契約・リース契約の満了日と解約予告期間を把握している
- 借入の返済予定表と、団体信用生命保険の有無を確認している
- 顧問税理士・社会保険労務士・弁護士の連絡先をご家族が知っている
- 緊急時に誰が誰へ連絡するか、スタッフの連絡網が決まっている
- 休診の告知(院内掲示・ホームページ・電話の案内)の文面の雛形がある
- 代診をお願いできる医師のお名前が3名以上挙がる
- 生命保険・就業不能保険の証券の保管場所を配偶者が知っている
- 患者さんをお願いできる近隣の同科クリニックを決めている
備え5:戻れなかった場合の出口を、ご家族と共有しておく
考えたくないことですが、復帰できない場合の道筋も決めておく必要があります。医療法人であれば理事長の交代、個人でのご開業であれば、廃止の届出や第三者への承継が現実的な選択肢になります。個人立の診療所は、院長が亡くなられた場合に原則として廃止となるため、ご家族に医師がいらっしゃらないケースほど、事前の整理が効いてきます。医療法や承継の手続きは個別性が高い領域ですので、税理士や医業承継に詳しい専門家へのご確認をお勧めします。
明日から7日間でできる準備の手順

一度に全部は進みません。1日1項目、30分ずつで構いませんので、順に進めてみてください。
- 1日目:固定費を1枚にまとめる
人件費・家賃・リース・返済を合計し、1か月休診したときに必要な金額を出します。 - 2日目:現預金を数える
法人と個人の手元資金が、その固定費の何か月分にあたるかを確認します。 - 3日目:保険を棚卸しする
証券を出し、免責期間・給付額・給付期間の3点を確認します。不足があれば就業不能保険を検討します。 - 4日目:代診リストを作る
お願いできそうな医師3名に、万一の際のご相談を一言お伝えしておきます。 - 5日目:労務の取り決めを決める
臨時休診時の賃金の取り扱いを就業規則に定め、社会保険労務士に確認します。 - 6日目:引き継ぎノートを作る
チェックリストの項目を1冊にまとめ、保管場所を配偶者と共有します。 - 7日目:ご家族と30分話す
復帰できなかった場合にクリニックをどうしたいか、ご自身の希望を伝えておきます。
倒れる前に気づくために、院長自身を仕組みで守る
ここまで倒れた後の備えをお伝えしてきましたが、本当に大切なのは、倒れる前に手を打つことです。私のところに寄せられるご相談でも、「疲れが抜けない」「気力が出ない」という段階を数か月放置した末に、体調を崩される先生が少なくありません。
院長が休めない構造は、意志の弱さではなく仕組みの問題です。週に1日、確実に診療から離れる日を作るところから始めていただきたいと思います。具体的な進め方は開業医が休めない本当の理由|週1日休む仕組みを作る5ステップに、すでに疲れを自覚されている段階での見直し方は院長が疲れたと感じたら|休めない開業医が見直す3つの仕組みにまとめております。
開業医が病気になったらどうなるか——この問いに、事前に答えを用意できている先生は多くありません。逆に言えば、この7日間の準備を済ませておくだけで、ご自身も、ご家族も、スタッフも、そして患者さんも守れます。今日は1日目の固定費の集計だけで構いません。まずはそこから始めていただければと思います。
よくある質問
Q. 開業医が病気で入院したら、休診にするしかないのですか?
A. 代診医を確保できれば診療の継続は可能です。ただし管理者不在が長期に及ぶ場合は保健所への相談が必要になります。平時から代診の候補を複数持っておくことをお勧めします。
Q. 開業医に傷病手当金はありますか?
A. 国民健康保険には原則ありません。医療法人の理事長で健康保険の被保険者なら対象になり得ますが、役員報酬が支払われている間は支給されません。加入先の制度をご確認ください。
Q. 院長の病気で休診した場合、スタッフに休業手当は必要ですか?
A. 労働基準法では使用者の責に帰すべき事由による休業に平均賃金の6割以上とされます。院長の病気が該当するかは個別判断のため、就業規則で扱いを定め、社会保険労務士にご確認ください。
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